何が起きたか

王室年代記は、1351年(伝承では3月4日)、ウートーンがチャオプラヤー川・ロッブリー川・パーサック川の合流点にある防御に適した島に新都を築き、ラーマーティボディー1世として即位したと伝える。都の名は『ラーマーヤナ』の都アヨーディヤーに由来する。

背景

この一帯には、ロッブリーやクメール文化圏につながる古い集落があった。ウートーン自身の出自については議論があり、年代記の伝承も一致しない。ウートーン市の領主とするものがある一方、商人の家系の出とする伝承もある。また、疫病が新しい土地への移転のきっかけになったと伝える年代記の伝承もある。

影響

アユタヤは以後416年間、シャムの支配的な国家であり続けた。ラーマーティボディー1世は上座部仏教を国教と定め、初期の法を発布した。王国はまもなくアンコールに圧力を加え、スコータイの勢力圏を併合していった。