何が起きたか
この石碑は「第一碑文」として知られる四面の石柱で、1292年に相当する年紀をもち、初期の形のタイ文字で記されている。ラームカムヘーン王のスコータイを豊かで仁政の行き届いた国として描き、「水には魚がおり、田には米がある」(大意)という一節は名高い。また、門には鐘が掛けられ、どの臣民でもそれを鳴らして王の裁きを求めることができたと述べ、タイ文字の考案を王の功績としている(伝承では1283年のこととされる)。
背景
石碑は1833年、出家して修行中だったモンクット王子(のちのラーマ4世)によってスコータイで発見された。
影響
碑文はタイ国民の物語の礎となる文書となり、タイ文字の存在を示すものとしては最古とされる証拠でもある。2003年にはユネスコの「世界の記憶」に登録された。1980年代末以降、一部または全部が19世紀の創作である可能性を論じる研究者がいる一方、タイの主流の学界は真正性を支持しており、論争は決着していない。