何が起きたか
日本陸軍はビルマ戦線への補給のため、1942年6月から1943年10月にかけて、タイのバーンポーンからビルマのタンビュザヤに至る約415kmの鉄道を建設した。建設は強制労働によって行われ、6万人を超える連合軍捕虜と、それをはるかに上回る数のアジア人労務者(ロームシャ)——一般に20万人以上と推計されるが、推計には大きな幅がある——が動員された。死者は捕虜1万2千人以上、アジア人労務者は数万人に及び、推計では9万人以上に達するともされる。このため「死の鉄道」と呼ばれる。
背景
日本軍の東南アジア進出後、ビルマへの海上輸送路は連合軍の攻撃にさらされ、陸路の連絡線が必要とされた。ピブーン政権下のタイは1941年12月の同盟により日本側についており、鉄道のタイ側区間はカンチャナブリー県を通っていた。
影響
戦後、収容所の関係者は戦争犯罪で裁かれ、カンチャナブリーには連合軍の戦争墓地が設けられた。クウェー川鉄橋は1957年の映画——史実を脚色したフィクションである——によって世界的に有名になった。ヘルファイアパスの切り通しは慰霊の場となっており、路線の一部はバンコク西部の路線とナムトックの間で今も運行されている。