人物
1853年に生まれ、1868年に父モンクットの跡を継ぎ、1873年から親政を行った(在位1868〜1910年)。シャム近代化を導いた大王として、タイ史上もっとも敬愛される君主の一人に数えられる。
何をしたか
1873年に国王への平伏の礼を廃止し、数十年に及ぶ段階的な過程を経て、1905年に奴隷制と賦役の廃止を完了した。弟のダムロン親王ら重臣とともに、半独立の地方領主に代えてモントン(州制)による中央集権体制を敷き、近代的省庁(1892年)、改革された軍、裁判所、学校、最初の鉄道(1890年代)、電信、測量地図を整備した。シャム国王として初めてヨーロッパを訪れた(1897年と1907年の大旅行)。植民地化の圧力に対しては、1893年の仏泰危機でフランス砲艦がパークナムを強行突破し、シャムはメコン川左岸を割譲。1904年と1907年にも割譲が続き(メコン右岸のラオス領、バッタンバンとシェムリアップ)、1909年の英泰条約ではマレー4州を英国に譲った。タイの歴史叙述はこれを「体を守るために手足を犠牲にした」と位置づけており、王国の中核は独立を保った。
後世への影響
命日の10月23日はチュラーロンコーン大王記念日として国民の祝日となっている。チュラーロンコーン大学はその名を冠し、バンコクの騎馬像は今も崇敬を集める。「敬愛される大王」(プラ・ピヤ・マハーラート)として尊崇されている。