概要

1782年、ラーマ1世がバンコクに新都を築き、ラタナコーシン島の名にちなむ時代が始まった。なお「ラタナコーシン」の名は1932年以降の王国をも指すが、本ページでは1782〜1932年を扱い、立憲期は別の時代として扱う。

主な動き

ラーマ1世はアユタヤをモデルに国家・法・宮廷文化を再建した。王宮(グランドパレス)とワット・プラケオの造営、三印法典の編纂(1805年)、ラーマキエンの完本がその成果であり、治世中にはボードーパヤー王率いるビルマの大侵攻「九軍の戦い」(1785〜86年)を撃退した。

19世紀半ば以降、西洋の圧力が強まると、モンクット(在位1851〜1868年)は交渉による関与を選び、ボーリング条約(1855年)で英国との通商を開いた。この条約は他の列強との条約の雛形となった。チュラーロンコーン(在位1868〜1910年)は国家を変革した。奴隷制と賦役の段階的廃止(1905年完了)、モントン(州制)による中央集権化、近代的省庁の創設(1892年)、学校・鉄道・電信の整備である。一方で、仏領インドシナ(1893・1904・1907年、ラオスとカンボジア西部の領土)と英国(1909年、マレー4州)に領土を割譲して中核部の独立を守り、シャムは東南アジアで唯一植民地化されなかった国であり続けた。

終わりと移行

世界恐慌による財政難と、外国で教育を受けた新しいエリート層の台頭は、1932年6月24日の無血革命に行き着いた。プラチャーティポック(ラーマ7世)のもとで絶対王政は終わり、立憲の時代が開かれた。