人物

政治家・学者(1900〜1983年)。フランスで法学博士号を取得し、タイ民主主義を築いた文民勢力の中心人物となった。

何をしたか

人民党(カナ・ラーツァドーン)を共同で創設し、1932年のタイ立憲革命では文民側の頭脳となった。初期の憲法文書を起草し、1933年には野心的な経済計画を示したが、反対派から共産主義的だと非難されて退けられた。1934年には法と政治の開かれた大学としてタンマサート大学を創設し、1930〜40年代を通じて政府の要職を歴任した。第二次世界大戦中は不在の国王アーナンタの摂政として、連合国と連携する地下組織・自由タイ運動を率いた。これが戦後にタイが寛大に扱われた大きな要因と一般に評価される。1946年には短期間、首相を務めた。同年6月、アーナンタ・マヒドン国王が銃弾により原因不明のまま死去すると、政敵はこの事件を彼への攻撃材料に使った。1947年11月のクーデタで亡命に追い込まれ、1949年の反クーデタの失敗で政治の道は絶たれた。晩年は中国、次いでパリで過ごし、1983年に同地で没した。

後世への影響

名誉回復は晩年以降に進み、2000年にはユネスコが生誕100年の記念事業に加わり、20世紀の偉大な人物として顕彰した。タイ民主主義の父、タンマサート大学の父として敬われる一方、その評価はタイ国内で今も政治的な議論を帯びている。