人物
チュラーロンコーン(ラーマ5世)の末子で、英国のイートンとウーリッジで教育を受けた。1925年、兄ワチラーウットの死去を受けて即位した。
何をしたか
財政の逼迫を引き継ぎ、世界恐慌の中で官吏の俸給を含む予算削減で対応した。これが革命を生む不満の一因になったと一般に評価される。1932年以前に憲法改革の草案を検討したが、制定には至らなかった。1932年6月24日、国王のホアヒン滞在中に人民党(カナ・ラーツァドーン)がバンコクを掌握すると、抵抗せずに憲法を受け入れ、シャム最初の立憲君主となった。その後、王権をめぐる対立から新体制との関係は悪化し、1933年には王党派によるボーウォラデット親王の反乱が鎮圧されたが、国王の関与が立証されたことはない。1934年に治療のため英国へ渡り、1935年3月2日に退位した。退位声明では、権力を国民全体に委ねる用意はあるが、特定の集団に委ねるつもりはないと述べた。
後世への影響
その後は英国で静かに暮らし、1941年に没した。退位声明はタイ立憲史で最も引用される文章のひとつである。王位は幼い甥のアーナンタ・マヒドン(ラーマ8世)が継いだ。