人物
1737年、アユタヤにトーンドゥアンとして生まれ、タークシン王のもとでチャオプラヤー・チャクリーの称号を持つ有力な将軍となった。1782年4月、タークシンの廃位を受けて即位し、後世にはプラプッタヨートファーチュラーロークの名で知られる。
何をしたか
都をトンブリーから川向こうの東岸、ラタナコーシン島へ移し、バンコクを創建した。王宮(グランドパレス)とワット・プラケオを造営し、エメラルド仏は1784年に安置された。アユタヤの宮廷儀礼と仏教制度を復興し、伝承によれば1788年に仏典校訂の会議を開かせ、1805年には三印法典を編纂した。治世中にはタイ語のラーマキエンの完本が成り、その一部は王自身の作と伝えられる。1785〜86年には、ボードーパヤーによる大侵攻「九軍の戦い」を撃破した。
後世への影響
彼が開いた王朝は、ラーマ1世からラーマ10世まで10人の王を数え、今も続いている。即位の日である4月6日はチャクリー王朝記念日となっており、バンコクが駐屯地の町から王都へと発展する歩みは彼に始まる。