何が起きたか

モンゴルは1258年に大越へ侵攻し、フビライ・ハンの元朝の下で1285年と1287〜88年にも再び侵攻した。後の二度の遠征軍について、史書は数十万規模と記す(史書による数字)。陳朝の朝廷はそのたびに都・昇龍(タンロン)を放棄して焦土戦術を取り、ゲリラ戦と暑熱・疫病で侵攻軍を消耗させてから反攻に転じた。後の侵攻では陳興道(チャン・フン・ダオ)が総指揮を執った。

決着は1288年の白藤江だった。陳興道は938年の呉権の策を再び用い、隠した杭に元の艦隊を突き刺して壊滅させ、その提督ウマル(オー・マー・ニー)を捕虜とした。

背景

元は、占城(チャンパ)や南宋の残存勢力に対する遠征路にあたる大越に、通行と服属を求めていた。

影響

大越は元への名目的な朝貢を再開する一方で、独立を守った。これらの勝利はベトナムの国民的記憶の礎となっている。