何が起きたか

1418年、清化(タインホア)の在地領主・黎利(レ・ロイ)が藍山(ラムソン)で明の支配に対して挙兵した。山中でのゲリラ的な生き残りから、運動は全国的な軍へと成長した。政治面では文人戦略家の阮廌(グエン・チャイ)が支え、その書簡と檄文は明の守備隊の戦意を削いだ。

1427年、支棱・昌江(チラン=スオンザン)の戦いで明の救援軍が壊滅し、指揮官の柳升が戦死した。残る守備隊には撤退が認められた。

背景

明は1407年に大越を併合していた。記録に残るベトナム側の訴えでは、この占領は重い課税、文化的抑圧、そしてベトナムの書籍の没収や破壊とともに記憶されている。

影響

黎利は1428年に後黎朝を開いた。阮廌による戦勝の布告「平呉大誥(ビン・ゴー・ダイ・カオ)」は、ベトナムでは偉大な独立宣言として記憶されている。