人物

本名は陳国峻(チャン・クオック・トゥアン)で、興道王(フン・ダオ・ヴオン)の称号を持つ王族。第2次・第3次のモンゴル(元)侵攻(1285年、1287–88年)において、大越軍の総司令官を務めた。

何をしたか

戦略的撤退と焦土作戦、ゲリラ的な攪乱、そして殲滅の一撃という戦い方を貫いた。その頂点が1288年の白藤江の戦いで、隠した杭に元の艦隊を突き刺し、提督オマルを捕らえた。檄文「檄将士文(ヒック・トゥオン・シ)」はベトナム文学の古典である。父から帝位を狙うよう命じられていたが、王への忠義のためにその一族の遺恨を捨てたという逸話を史書は強調する(史書の伝え)。臨終の際、国の守り方を問われて民に頼ることを説いたと伝えられる(伝承的な記録)。

後世への影響

民間信仰では「ドゥック・タイン・チャン(徳聖陳)」として神格化され、ベトナム各地に像が立つ。戦略と団結の国民的象徴であり続けている。