何が起きたか

劉邦は関中の要地を確保し、前205年の彭城での大敗をも生き延びた。名将・韓信が北方と東方の諸国を平定し、彭越が楚の補給線を襲う間、劉邦は滎陽の戦線を持ちこたえた。前203年の鴻溝での和約により天下は一時二分されたが、劉邦は参謀たちの進言を容れてこれを破った。

背景

秦の崩壊が残した帝国の覇権をめぐる4年間の争いで、西楚の覇王・項羽と漢王・劉邦が相対した。

影響

前202年、垓下で包囲された楚軍は四方から楚の歌を聞いた。項羽は烏江で最期を遂げ、劉邦は漢王朝の成立を宣した。この戦いは故事成語「四面楚歌」、京劇『覇王別姫』(映画「さらば、わが愛/覇王別姫」の題材となった演目)、そして中国将棋(シャンチー)の盤面すべてを分ける「楚河漢界」として、今も生き続けている。