人物

劉徹は漢の第7代の君主で、54年にわたり中央集権を強める積極的な統治を行った。歴史家・司馬遷が『史記』を著したのも、刑罰を受けたのも、この皇帝の治世下でのことである。

何をしたか

儒学者を登用し、前124年には太学(帝国の学問所)を設立して、儒教を国家の正統思想とした。衛青・霍去病らの将軍とともに匈奴との長い戦争を戦い、前138年には張騫を西方へ派遣。漢の勢力を中央アジア、南方の南越、そして朝鮮(前108年に楽浪郡を設置)へと拡大した。戦費は塩と鉄の専売によってまかなわれた。

後世への影響

その治世に漢の版図は最大に達し、以後二千年にわたって続く儒教官僚制の帝国モデルが確立された。