人物
商最後の王・帝辛は、紂王の名で記憶される。『史記』をはじめとする後代の記録によって、中国の伝統における暴君の典型像が作り上げられた。
何をしたか
後代の記録は、寵妃・妲己とともに享楽にふけった「酒池肉林」の豪奢、炮烙と伝えられる残酷な刑罰、諫言した叔父・比干の殺害などを伝えている。前1046年頃、牧野の戦いで周の武王に敗れ、都・殷の炎上する宮殿の中で死んだ。ただし現代の歴史家には、この暴君像は勝者である周や後世の道徳家によって大きく誇張されたとする見方もある。
後世への影響
紂王は悪政の代名詞となり、「天命」が新しい王朝へ移ることを正当化する物語の中心に据えられた。