人物
詩人、随筆家、書家、画家にして政治家。1057年、進士に優秀な成績で及第した。王安石の新法に反対したため繰り返し流された──1079年の「烏台詩案(詩の筆禍事件)」の後は黄州へ、のちには恵州、さらに海南島へ。
何をしたか
黄州では二篇の「赤壁賦」と詞の傑作「念奴嬌・赤壁懐古」(1082年)を書いた。中秋の名作「明月幾時有(明月はいつからあるのか)」は、それより前の1076年、密州で詠まれたものである。杭州の知事としては西湖を横切る蘇堤を築いた。東坡肉(トンポーロー)の名も彼にちなむ。
後世への影響
唐宋八大家の一人に数えられ、逆境を芸術へと変える流謫の文人の、永遠の模範となった。