人物
農民の出身から身を起こした南宋の将軍。1127年に華北が失われた後、女真の金との戦争を戦った。母が背中に「尽忠報国」の文字を刺青したという物語は、伝説として語り継がれている。
何をしたか
規律厳正な「岳家軍」を率いて戦役に勝ち続け、1140年までには開封へ迫った。しかし和平を求める高宗皇帝と宰相・秦檜の宮廷は彼を召還し──十二枚の金牌による緊急の勅命だったと伝えられる──でっち上げの罪で投獄した。1142年に処刑され、その罪状は秦檜の言葉「莫須有(あるかもしれぬ──証拠は要らぬ)」とともに記憶されている。
後世への影響
後の皇帝により名誉を回復され、中国の殉国者・愛国者の典型となった。杭州・西湖のほとりの岳飛廟では、秦檜夫妻の鉄像が永遠の恥辱のうちにひざまずいている。