概要
1250〜1517年のエジプトは、奴隷身分出身の精鋭軍人マムルークによって支配された。マムルークは主にテュルク系(キプチャク系)、のちにチェルケス系の出身で、エジプトで訓練された。この時代は、バフリー期(1250〜1382年)とブルジー期(1382〜1517年)に区分される。
主な動き
1260年、スルタンのクトゥズと将軍バイバルスは、パレスチナのアイン・ジャールートの戦いでモンゴル軍を破った。これは、この地域でモンゴルの進撃を食い止めた最初期の大きな敗北の一つとされる。バイバルス(在位1260〜77年)は十字軍国家を後退させ(1268年にアンティオキアが陥落。アッコンは後継者の代の1291年に陥落)、生き残ったアッバース家の人物を名目上のカリフとしてカイロに擁立した。カイロはイスラーム世界の大都市として頂点を迎え、アジアとヨーロッパを結ぶ香辛料交易、学問(イブン・ハルドゥーンが教鞭をとり、裁判官も務めた)、建築(スルタン・ハサン・モスクやカーイトバーイの建造物群)の中心となった。
終わりと移行
1348年からの黒死病はエジプトの人口と経済を繰り返し打ちのめし、1500年頃のポルトガルによる喜望峰ルートの発見は香辛料交易を侵食した。いずれも王朝を圧迫する要因となった。1517年、オスマン朝のセリム1世がマムルーク朝を破り、エジプトはオスマン帝国の属州となった。マムルークたちは、オスマン支配のもとでも在地の支配層として存続した。