人物

サラーフ・アッディーン・ユースフ・イブン・アイユーブ、通称サラディンは、1137/38年に現在のイラクにあたるティクリートで、クルド系の軍人の家に生まれ、1193年にダマスカスで没した。シリアの支配者ヌール・アッディーンに仕えて頭角を現し、エジプトに派遣されて、1169年にファーティマ朝の宰相(ワズィール)となった。

何をしたか

1171年、シーア派のファーティマ朝カリフ制を廃してエジプトにスンナ派を復権させ、エジプトを、のちにはシリアも支配するアイユーブ朝を開き、カイロの城塞(シタデル)の建設を始めた。1187年にはヒッティーンの戦いで十字軍の軍を壊滅させ、十字軍支配88年ののちにエルサレムを奪回した。1099年に十字軍が同市を占領した際の虐殺とは対照的に、比較的流血の少ない奪回だったことを、双方の中世の記録が記している。エルサレム陥落は第3回十字軍(1189〜92年)を引き起こしたが、サラディンはイングランド王リチャード1世と戦って休戦(1192年のヤッファ条約)に持ち込み、エルサレムはキリスト教徒の巡礼権を認めつつムスリムの手に残った。

後世への影響

ムスリム・ヨーロッパ双方の中世の伝承で、寛大さと騎士道的な振る舞いをたたえられた。イスラーム史の中心的人物であり、彼がエジプトに築いたアイユーブ朝の体制は、マムルーク朝への道を用意した。