人物
ペリクレス(前495年頃〜前429年)は、前450年代から約30年にわたってアテネを率いた指導的政治家で、将軍職(ストラテゴス)に毎年のように選出され続けた。トゥキュディデスが、彼のもとのアテネは名目は民主政だが実際には第一人者の支配だったと評したことは名高い。
何をしたか
陪審員や公職者への手当を導入して、貧しい市民にも政治参加の道を開いた。一方で前451年の市民権法は、市民権を両親ともアテネ人である者に限定した。ペルシア軍に焼かれたアクロポリスを再建し、パルテノン神殿やプロピュライアの造営は数千人を雇用したが、費用の一部がデロス同盟の貢租で賄われたことは、当時から今日まで批判の的となってきた。また同盟をアテネの帝国へと固め、サモスなどの反乱を鎮圧した。ペロポネソス戦争の開戦にあたっては城壁の内側に退いて艦隊に頼る戦略を取り、手堅い策ではあったものの、過密になった市は疫病に対して脆弱になった。
後世への影響
トゥキュディデスの筆を通じて伝わる戦没者葬送演説は、民主政の理想を語った古典とされる。ペリクレス自身は開戦から2年後の前429年、疫病で没した。ミレトス出身のアスパシアとの関係は、同時代人の嘲笑と後世の関心を集めた。その名は「ペリクレス時代」として、時代そのものの呼び名となっている。