人物
キュロス2世は前600年頃に生まれ、ペルシス地方アンシャンの王であった。前550年、宗主であったメディア王アステュアゲスを倒し、アケメネス朝を創始した。
何をしたか
前547年〜前546年頃、リュディア王クロイソスを破ってその王国を征服し、前539年にはバビロンを手に入れた。史料によれば、オピスの戦いののち、バビロンの奪取はほとんど戦闘なしに行われたと伝えられる。キュロス・シリンダーと聖書の記述は、強制移住させられていた人々の帰郷を許し、神殿を復興したという寛容な政策をともに伝えており、クセノポンの『キュロスの教育』のように、ギリシア人が理想の君主像として描いた例もある。前530年、中央アジアでの遠征中に没した。ヘロドトスはマッサゲタイとの戦いによる死と記すが、伝えは一様ではない。
後世への影響
キュロスはパサルガダイの切妻屋根の石造墓に葬られ、その墓は今も残る。アレクサンドロス大王もこの墓に敬意を払ったと、その歴史家たちは伝えている。イラン国家の始祖として2,500年にわたり呼び起こされ、1979年をはさむ現代イランでも、双方の側から引き合いに出されてきた。