人物

ダレイオスはカンビュセス2世の死後の混乱の中で王位につき、帝国各地の反乱を打ち破った。その経緯を自ら語る記録は、ベヒストゥンの岩壁高くに浮き彫りとともに古代ペルシア語・エラム語・バビロニア語の3言語で刻まれ、19世紀に学者が楔形文字を解読する鍵ともなった。

何をしたか

ダレイオスは偉大な組織者で、帝国を貢納額を定めた州(サトラップ領)に分け、度量衡と金貨ダレイコスを標準化し、王の道を建設し、碑文によればナイル川と紅海を結ぶ運河も完成させた。前518年頃には儀礼の都ペルセポリスの造営を始めた。版図はインダス川からヨーロッパへと広がり、トラキアを獲得しマケドニアを服属させて帝国最大となったが、ドナウ川を越えたスキタイ遠征は成果に乏しかった。イオニアのギリシア人の反乱(前499年〜前493年)ののち、アテナイへの懲罰遠征は前490年のマラトンの戦いに敗れた。帝国にとっては限定的な敗北にとどまったが、ギリシアにとっては国の礎ともいうべき記憶となった。

後世への影響

前486年、ダレイオスは新たなギリシア遠征を準備するさなかに没し、息子のクセルクセス1世が跡を継いだ。その亡骸は、ナクシェ・ロスタムの岩窟墓に葬られた。