人物

1048年、ホラーサーンのニーシャープールに生まれ、1131年に同地で没した。数学者・天文学者・哲学者であり、詩人としての顔は後世の帰属によるものである。

何をしたか

代数学の論考で三次方程式の体系的な幾何学的解法を示し、中世数学の画期のひとつに数えられる。ユークリッドの平行線公準の検討も行った。天文学では、マリク・シャーのために観測チームを率い、1079年のジャラーリー暦改革は驚くべき精度の太陽暦を生んで、今日のイランの暦の基礎となっている。彼に帰される四行詩(ルバーイイ)は懐疑と酒と死をうたうが、その帰属をめぐる判断は研究者ごとに分かれ、詩群そのものも何世紀もかけてふくらんでいった。

後世への影響

エドワード・フィッツジェラルドの英訳『ルバイヤート』(1859年)は、逐語訳ではなく自由な翻案でありながら、英語で最も人気のある詩のひとつとなり、ヴィクトリア朝で一世を風靡した。イランでは何よりも科学者として讃えられ、世界では、ペルシアを代表する詩人哲学者の像で知られる。ニーシャープールの墓廟は現代の記念建築である。