何が起きたか
ウェスパシアヌスは、ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)の人工池を埋め立てた場所に建設を始めた。それは建築であると同時に政治でもあった。皇帝が私邸のために取り上げた土地を、市民に返す行為だったからである。ティトゥスは紀元80年に100日間の競技会をもって開場し、ドミティアヌスが最上層を仕上げた。収容人数はおよそ5万人で、観客は番号を振られた80の入場アーチから、段と席を示す木札を手に入場した。日除けの天幕は、ミセヌムの艦隊から呼び寄せられた水兵が最上部の欄干から操作した。
背景
建設は皇帝ウェスパシアヌスのもとで始まり、その子ティトゥスによって落成し、費用の一部はユダヤ戦争の戦利品でまかなわれた。ローマ世界最大の円形闘技場であり、収容人数はおよそ5万人程度とされるが、推計には幅がある。
影響
コロッセオは何世紀にもわたり剣闘士競技、猛獣狩り、公開の見世物の舞台となった。のちに地震で損壊し石材として切り出されもしたが、ローマとローマの土木技術の象徴として今日まで残り、重要な記念建造物となっている。