何が起きたか

伝統的には8月24日とされてきたが、2018年にポンペイで見つかった木炭書きの落書きには10月17日の日付があり、遺跡から出た秋の果実や厚手の衣服も同じ時期を示している。噴火は二段階で進んだ。まず18時間ほどのあいだ、火山灰と軽石の柱が高さ30キロメートルにも達し、ポンペイに石を降らせて屋根を潰した。次いでその柱が崩れ落ち、高温のガスの奔流が山を駆け下って、まずヘルクラネウムに達し、ほぼ即座に人々の命を奪った。小プリニウスは湾の対岸からこれを目撃し、現存する唯一の目撃者の記録を、約25年後にタキトゥスへ宛てた2通の手紙として書き残した。

背景

ナポリ湾一帯は繁栄し、人口も密集していた。小プリニウスは書簡の中でこの噴火と伯父・大プリニウスの死を描写しており、そのためこうした噴火は今日「プリニー式」と呼ばれる。紀元79年という年は確実だが、伝承上の8月24日という日付については議論があり、秋を示唆する証拠もあるため、日付は不確かである。

影響

数千人が命を落としたが、火山灰は都市を驚くほど詳細に保存した。18世紀以降の発掘は、ローマ人の日常生活を知る比類ない窓を開き、ポンペイは今日でも重要な遺跡である。