人物

ボローニャで、イタリア人の地主の父とアイルランド人の母のもとに生まれた。物理学はほぼ独学で、十代から一家の別荘でヘルツの電磁波の実験を始め、1895年には見通しの利かない丘の向こうまで信号を送ることに成功した。

何をしたか

イタリアで関心を得られず1896年にイギリスへ渡り、無線電信に関する最初の特許を出願、会社を興して船舶無線と海を越える通信を実用化した。1901年12月12日、コーンウォールのポルドゥーから送られたモールス符号の「S」をニューファンドランドのセントジョンズで受信したと発表し、これが初の大西洋横断無線通信とされる。1909年にはブラウンとともにノーベル物理学賞を受賞。1912年のタイタニック号の遭難では、マルコーニ社の通信士が発した無線が生存者の救助を可能にした。晩年は短波による長距離通信を開発し、1923年にファシスト党に入党、王立イタリア・アカデミー総裁として体制に仕えた。

後世への影響

電波の発見者ではないが、それを世界的な技術にした最大の功労者である。1937年にローマで死去した際には、世界中のラジオ局が2分間の沈黙を守った。放送も船舶無線も、あらゆる無線技術が彼の築いた産業に連なっている。