人物
朝鮮国王・高宗の王妃で、生前は閔妃として知られた。朝鮮王朝末期の宮廷における権力闘争の有力な政治的実力者であり、義父である摂政・大院君の最大の政敵だった。
何をしたか
1894~95年以降、日本の影響力が強まると、これに対抗するためロシアに接近した。1895年10月8日、日本人の実行者とその協力者らによって景福宮内で暗殺された(乙未事変)。この作戦は日本公使・三浦梧楼の関与のもとで組織され、日本で裁判にかけられた者は無罪となった。1897年の大韓帝国成立に際し、明成皇后の称号が追贈された。
後世への影響
韓国では、侵害された国家主権の象徴として記憶されている。その暗殺は、韓国と日本の歴史記憶における重い出来事であり続けている。