人物

壬辰倭乱における朝鮮の偉大な提督で、伝承では約23回の海戦に無敗と数えられる。艦隊には装甲を施した「亀甲船」が含まれたが、その構造の詳細には議論がある。

何をしたか

その艦隊は日本軍の補給線を断ち、閑山島の勝利(1592年)は戦争の海上での転換点となった。宮廷の陰謀により罷免され拷問を受けたが、残していった艦隊が漆川梁(1597年)で壊滅した後に復帰。同年の鳴梁では、伝承で百隻を大きく超えると数えられる敵艦隊に対し、13隻で勝利した。戦争最後の戦いとなった露梁(1598年12月)で流れ弾に倒れ、伝承では勝利まで自らの死を伏せるよう命じたという。

後世への影響

陣中日記「乱中日記」はユネスコ「世界の記憶」に登録されている。韓国最高の国民的英雄であり、その銅像はソウルの光化門広場に立ち、海軍指揮官として世界中で研究されている。