概要

王朝は1767年の破局から直接立ち上がった。元タークの知事タークシンは、包囲されたアユタヤを脱出すると南東海岸のチャンタブリーに拠点を築き、都の陥落から数か月のうちにアユタヤ一帯を奪回した。通説の年代では1767年12月28日にトンブリーで即位し(記念日もこの日を伝える)、年代記には1768年に及ぶ年代を記すものもある。

主な動き

タークシンは各地の対抗勢力を平定し、再来したビルマ軍の攻撃を撃退した。1775年には北方の同盟勢力とともにチェンマイを奪い、ラーンナーにおけるビルマ支配を終わらせた。さらにカンボジアとラオスに遠征し、麾下のチャオプラヤー・チャクリー将軍(後のラーマ1世)はビエンチャンを攻略して(通説では1779年)、エメラルド仏をトンブリーに迎えた。タークシンの父方の共同体である潮州系中国人商人のネットワークは、交易と米の供給の復興を支えた。

終わりと移行

1782年、反乱と宮廷の危機のさなかにタークシンは廃位・処刑された。年代記は晩年の王の振る舞いを次第に常軌を逸したものとして描くが、この記述を慎重に読む歴史家もいる。チャオプラヤー・チャクリー将軍がラーマ1世として即位し、都を川向こうのバンコクへ移して、ラタナコーシン時代が始まった。