概要

帝国はまず大西洋の貿易と入植、次いで東インド会社によるインド支配、19世紀のアフリカ・太平洋への拡張の上に築かれ、植民地・保護領・自治領の寄せ集めとして統治された。それを支えたのは海軍力と貿易であり、廃止までは大西洋奴隷貿易も含まれた。歴史家の推計では、イギリス船はおよそ300万人のアフリカ人奴隷を運んだ。イギリスは1807年に奴隷貿易を、1833年に帝国の大部分で奴隷制を違法としたが、補償を受けたのは奴隷ではなく所有者だった。

役割

その歴史的評価は深く争われている。帝国支配は鉄道、コモン・ロー、英語をもたらしたが、征服と強制労働も伴った。イギリス統治下の飢饉——アイルランド大飢饉(1845年–1852年、死者約100万人)とインドで繰り返された飢饉、とりわけ1943年のベンガル飢饉(推計死者200万–300万人前後)——は、多くの歴史家によりかなりの部分が政策の失敗に帰せられている。植民地における暴力には、1919年のアムリットサル虐殺(公式発表で死者379人、インド側推計はより多い)や1950年代ケニアのマウマウ団反乱の鎮圧が含まれる。

その後

二つの世界大戦は帝国の中心を疲弊させた。1947年にインドとパキスタンが独立し、その分離独立に伴う暴力の死者は数十万人から約100万人と推計される。1950年代末からアフリカ植民地が続き、1997年の香港返還が慣例上の終点とされる。イギリス連邦、英米法、そして今も争われる帝国の記憶がその主要な遺産である。