人物

トトメス1世の娘で、トトメス2世の正妃。幼い継子トトメス3世の摂政を務めたのち、自らファラオとして戴冠した(在位前1479年頃〜前1458年頃)。公式の美術では、儀礼用の付け髭を含む王の完全な図像をまとった。

何をしたか

征服ではなく、平和と建築と交易に力を注いだ。プントの地への大遠征はレリーフに記録され、香の木や没薬、珍しい品々をもたらした。デイル・エル・バハリには階段状のテラスをもつ葬祭殿ジェセル・ジェセルウを建て(この事業には側近の官僚センエンムトが関わったとされる)、カルナックにはオベリスクを建立した。

後世への影響

トトメス3世の治世末期、彼女の像と名は記念建造物から組織的に消された。動機については議論が続いており、王朝の正統性をめぐる説明が有力とされる。2007年にはKV60墓のミイラが彼女のものと同定されたが、この同定にはなお議論がある。