人物
第18王朝の6代目の王で、在位は前1479年頃〜前1425年頃。治世の最初の20年ほどは、継母ハトシェプストの摂政と共同統治のもとにあり、単独統治はその後に始まった。
何をしたか
単独統治となってから、レヴァントへ約17回の軍事遠征を行い、その記録はカルナックの年代記に刻まれた。メギドの戦い(前1457年頃)では、狭い山道を抜ける奇襲の進軍でカナンの連合軍を破った。この戦いは、比較的詳しい物語として記録された最古の戦いとしばしば呼ばれる。帝国はヌビアからユーフラテス川に及ぶ最大版図に達し、貢納がもたらされ、属国の王子たちは人質としてエジプトで教育を受けた。カルナックの増築など建設者・庇護者としての顔も持ち、遠征で集めた珍しい動植物を刻んだ「植物園」のレリーフがカルナックに残る。
後世への影響
近代の歴史家は彼を「エジプトのナポレオン」と呼んだ。これはエジプト学者ジェームズ・ヘンリー・ブレステッドが生み出した近代のあだ名である。また治世末期には、ハトシェプストの記憶が記念建造物から消されたが、その動機については議論が続いている。