概要
サファヴィー朝は1501年、サファヴィー教団の世襲の教主イスマーイール1世が、トルクメン系騎兵集団キジルバシュの支持を受けてタブリーズを奪い、シャーを称して建国された。この王朝を決定づけたのは、十二イマーム派シーア派をイランの国教として強制したことである。スンナ派が多数だった住民の改宗は数世代をかけて進められ、今日まで続くシーア派のイランと、スンナ派のオスマン帝国との根深い対立を生んだ。
主な動き
1514年のチャルディラーンの戦いでオスマン帝国の火器に敗れたことで、タブリーズの安全は失われ、イスマーイール1世の威光にも影が差した。オスマン帝国とサファヴィー朝の戦争は、その後2世紀にわたって続いた。最盛期はアッバース1世(在位1588〜1629年)の治世で、1598年に都をイスファハーンへ移し、王の広場やモスク、橋の数々は、イスファハーンは世界の半分と言われるほどの当代の驚異となった。内政では、キジルバシュを牽制する奴隷軍人(グラーム)の軍団を整え、王室の生糸専売とヨーロッパ諸会社との貿易を進め、新ジョルファーのアルメニア商人が生糸輸出網を担った。
終わりと移行
18世紀には弱体な君主が続き部族の反乱が相次ぎ、1722年にはアフガン系の反乱軍がイスファハーンを占領した。1736年、ナーディルが名目だけ残っていたサファヴィー朝の支配に終止符を打った。サファヴィー朝はイランをシーア派の国とし、おおよそ今日の文化的な境域に重なる統一イラン国家を再建した。