人物
中津の下級武士の家に生まれ、蘭学を修めたのち独学で英語を身につけた。幕府の最初の海外使節に加わり、1860年に咸臨丸でサンフランシスコへ、1862年にはヨーロッパへ渡った。
何をしたか
1858年に起源をもつ塾は慶應義塾となり、今日の慶應義塾大学へ続く。著作は西洋を伝え、人々の意識を変えた。『西洋事情』、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の一節で始まり大ベストセラーとなった『学問のすゝめ』(1872–76)、『文明論之概略』である。
1882年には新聞『時事新報』を創刊した。
後世への影響
独立自尊、実学、そして教育による機会の平等を唱えた。1984年から2024年まで一万円札の肖像を務め、日本近代化の知的設計者として記憶されている。