人物
薩摩の武士の指導者で、自藩によって二度流罪に処された。復帰後は薩摩の軍を率いて薩長同盟へ、そして戊辰戦争へと進み、1868年には勝海舟との交渉で江戸城の無血開城を実現した。
何をしたか
明治初期政府の柱石となったが、1873年、朝鮮への強硬論(征韓論)が退けられると辞職し、鹿児島に戻って私学校を営んだ。
1877年、不満を抱く士族を率いて西南戦争を起こした。熊本城を包囲したのち後退し、1877年9月24日、城山の最後の戦いで死んだ。
後世への影響
1889年に死後赦免された。1898年からは、愛犬を連れたその銅像が上野公園に立つ。新しい日本に仕え、また抗った、武士の徳の愛される矛盾した体現者であり続けている。