人物
尾張の小さな大名だったが、桶狭間の戦い(1560年)で今川義元のはるかに大きな軍を打ち破り、天下を驚かせた。「天下布武」――武によって天下を治める――の印章を用いた。
何をしたか
1568年に京都へ入り、1573年には最後の足利将軍を追放した。長篠の戦い(1575年)では鉄砲を大規模に投入した――一斉射撃で戦争のあり方を一変させたと広く語られるが、この描き方には現代の研究で異論もある。安土に壮大な城を築き、楽市楽座によって市場を座の支配から解放した。武装した宗教勢力には容赦なく、比叡山延暦寺を焼き討ちし(1571年)、石山本願寺とは十年にわたって戦った(1570〜80年)。一方でイエズス会の宣教師は容認した。1582年、京都の本能寺で家臣・明智光秀の裏切りにより死去。遺体は見つからなかった。
後世への影響
天下統一の原動力であり、日本の大衆文化で最も愛される革新者である。