概要
縫わない弥生の衣は、ここで裁って縫う衣に取って代わられる。上衣である衣は袖のついた上着で、胸の前で打ち合わせ、ボタンではなく紐で留める。その下に、男は膝下を括った幅広の袴を、女は縦に襞をとった長い裳をつけた。これは二部式であり、二つに分かれていることこそが要点である。巻くのではなく組み立てなければ着られない、最初の日本の衣服であった。知られる手がかりは主に埴輪、すなわち時代の名の由来である巨大な墳墓に立てられた素焼きの人形で、襟や袖口、裾がとりわけ丁寧に作り分けられている。
着方と特徴
上衣は上着のように羽織り、前端に縫いつけた紐で合わせを留め、さらに腰で帯を結んで押さえる。布を貫いて留めるものは何もない。男の袴は膝までは幅広で、そこから脛に沿って紐で括る。馬を手に入れたばかりの人々が身につけた、騎乗のための仕立てである。女の裳は上衣の裾の上から腰に巻いて結び、足の甲まで垂れる。袖口は色の異なる縁で始末されており、埴輪がもっとも手をかけて作り分けるのはこの部分である。その上に、墳墓を満たす装身具が加わる。勾玉を連ねた首飾り、手首の腕輪、そして頭頂高くに置かれた鉢巻や冠である。
歴史
この仕立ては、四、五世紀に馬具や鉄器、轆轤が半島から渡ってきたのと同じ接触の波に乗って入った。時代の終わりとともに消えたのではない。飛鳥・奈良の朝服は、この二部式が中国の影響のもとで整えられ、やがて法に書き込まれたものであり、高松塚壁画の上衣と裳もその子孫とはっきり見てとれる。