概要
衣そのものの仕立ては大陸風で、隋唐の中国から朝鮮諸国を経て伝わったものであり、朝廷は同じ流れで入ってきた文字や律令、仏教とともにこれを受け入れた。もっとも大きな変化は衣ではなく考え方にある。装いは定められるべきものだ、という考えである。六〇三年の冠位十二階は、官人の位ごとに定まった色の絹の冠を与えた。人の位が、部屋の向こうからでも読めるようになったのである。それまで位は家の富があらわすものであった。以後は朝廷が許すものがあらわすことになった。
着方と特徴
上衣は前で打ち合わせ、腰丈で終わり、細い帯で押さえる。その下の裳は腰に巻いて結び、縦に襞をとり、後ろに引くほど長い。領巾が肩から両腕にかけて垂れる。男は揃いの上衣にゆったりした袴を穿いて足首で括り、朝廷ではその上に、位を示す絹の冠をかぶった。時代の末に描かれた高松塚古墳の西壁には、まさにその姿の女性の一群が、赤・緑・白の縞の裳をつけて並ぶ。年代を語るのは襞である。それは在来のものではなく、七世紀の朝鮮・中国の装いであった。
歴史
飛鳥の装いは発明されたのではなく定められたものであり、定める作業はその後も続いた。奈良の朝廷は十二階の冠に代えて、礼服・朝服・制服と装いを段階づけるより詳細な衣服令を敷き、ゆるやかな大陸風の仕立ては、八世紀の広い袖と高い腰へと移っていく。飛鳥から残ったのは、何を着てよいかを決めるのは着る者ではなく朝廷である、という原則であった。