人物
595年、伽耶王族の血を引く家に生まれ、若くして花郎として名を馳せた。若き日の剣や霊にまつわる数々の逸話は伝承であり、史実ではない。婚姻同盟によって一族は金春秋(後の武烈王)の一族と結ばれ、二人は緊密な協力関係を築いた。
何をしたか
660年、新羅軍を率いて百済を滅ぼし、黄山伐で将軍・階伯の最後の抵抗を打ち破った。668年に高句麗を倒した遠征にも参加し、その後は半島に対する唐の野心への抵抗でも戦った。
後世への影響
新羅では臣下として最高の栄誉を受けた。『三国史記』によれば835年、新羅の興徳王の朝廷が興武大王の号を追贈した。臣下としては例のない栄誉である。慶州近郊の墓は十二支のレリーフで壮麗に飾られ、忠義の統一将軍の模範として韓国の記憶に生き続けている。