人物

フランスで教育を受け、1926年からフランス保護領下で在位した(1932年にベトナムへ帰国)。短期間の改革の試みは、植民地支配の制約に阻まれた。

何をしたか

1945年8月30日、八月革命に際して退位し、王朝の璽と剣を引き渡した。このとき「隷属した国の王であるより、自由な国の一市民でありたい」と述べたと伝えられる。その後、新共和国の「最高顧問」を短期間務めた。1949年、フランスは彼を連合下のベトナム国の国家元首に据えたが、この時代の多くを国外で過ごし、1955年、ゴ・ディン・ジエム首相が実施した国民投票——広く不正があったとみなされている——により廃位された。

後世への影響

その退位は、千年に及ぶベトナム君主制の静かな終焉となった。以後はフランスで亡命生活を送り、1997年にパリで没した。帝国・植民地・戦争の時代をまたいだその生涯は、遊興好きの傀儡と評されることもあれば、時代に閉じ込められた人物と評されることもある。