概要
王朝は四十年に満たず、三世紀近く分かれていた国を統一した。その衣服には継ぎ目が見える。北朝からは、身に沿う盤領の袍と革帯が来た。もとは草原の騎乗の衣であり、隋はこれを官人の常用とし、朝廷でも用いた。南からは、晋以来のゆったりと腰高に垂れる女子の装いが来た。朝廷は服制を定めて色と帯の飾りと被り物を官職ごとに段階づけ、統一された官僚機構に目に見える一つの秩序を与えた。
着方と特徴
女子の一式は、袖の細い襦を、腰帯が脇の下近くまで上がってそこで結ばれる裙の上に着るもので、全体が長い縦の線として読める。その上に帔帛という細く軽い領巾を肩に掛け、両腕に回す。裙は色の違う布を縦に交互に接いで作られることが多く、多くの俑が縦縞に彩色されているのはそのためである。男子は右前に合わせる盤領の袍に柔らかな靴を履き、枠に黒い布を巻いて後頭部で結ぶ幞頭をかぶった。
歴史
本頁の俑は、五九五年に閉じられた安陽の張盛墓から出たもので、年代の確かな数少ない隋の一括資料であり、様式を時間のなかに据える役目の多くを担っている。その大半は六一八年の王朝の滅亡で途切れていない。唐は盤領の袍と幞頭と腰高の裙をそのまま受け継いで名高いものにした。今日、隋はそれ自体の相貌をもつ時代としてよりも、その様式の最初の一章として読まれることが多い。