概要
この項が扱うのは、誰も見たことのない衣服である。古朝鮮の衣服は一点も残らず、同時代に描かれた図像もない。したがって以下は、たまたま一致する三つの間接的な手がかり——半島とその周辺の民についての中国側の記録、古朝鮮が接した北方草原の装い、数百年のちに描かれた高句麗古墳壁画——から組み立てたものである。示される構造は確かだが、細部はそうではない。
着方と特徴
上衣は身に沿って細い袖をもち、前で合わせて、釦ではなく帯を腰で結んで留める。その下にゆったりした袴を穿き、乗馬や寒さのために足首で絞る。合わせて着れば上下の分かれた二部式となる。これは北方の騎馬文化の形であり、中国の一枚仕立ての衣とは正反対である。のちの朝鮮の装いのチョゴリとパジの直接の祖であり、韓服がいまも二部式であるのはそのためだ。日常の繊維は麻で、暖をとるには毛皮と革を用いた。
歴史
物として残るのは衣服ではなく、衣服を作る道具である。ここに示した石の紡輪は青銅器時代の朝鮮各地から出土し、青銅の帯金具や釦、装身具もまた、帯を締めて留める衣がなければ意味をなさない。織物は交易に値するものでもあった。管子は、斉が朝鮮から文皮を得たことを記しており、この地に関する最も古い記述のひとつである。前108年に漢の郡県が半島に置かれると中国の絹と漆器が大量に入るが、構造は動かず、夫余・高句麗と三国へ受け継がれた——そして高句麗の壁画がついにその姿を描き出す。