概要

理由は兵馬俑にある。像は一体ごとに造形され彩色されており、顔料の大半は失われても造形は失われていない。襟、帯鉤、甲の綴り、履の底、髪型が、すべて実物大で表されている。そこに見えるのは、殷と周が用いたのと同じ上衣下裳の原理を引き締めたものである。袍は胸の前で交差して右前に合わせ、膝あるいはそれ以下に届き、結ぶのではなく鋳造の鉤で留める帯で押さえる。その下には袴をはく。もともと中国の習いではなく、北方の草原から採り入れた騎兵の装いである。

着方と特徴

兵はまず袍を着け、その上に甲を重ねる。小さな漆塗りの札を紐で綴じた胴の鎧で、腰まで垂れ、肩の部分は別に作る。下は袴を脛で括り、履は方頭で底が厚く、甲の上で結ぶ。身分と部隊を語るのは髪である。片側に寄せて結い上げ紐で束ねるか、平らな冠で覆うかし、結い方は歩兵と弓兵と将校で異なる。軍の外の官人は、甲を着けず同じ袍をより長く仕立てて着け、官職を示す形の冠をかぶった。

歴史

秦は標準化によって統治した。文字、車の轍の幅、度量衡、貨幣である。装いもまた標準化され、選ばれた色は黒であった。王朝は水の徳を称し、水の色は黒であるとして、朝廷をそれに従って装わせたのである。十五年後に王朝は消えたが、漢は袍の仕立てをそのまま受け継いで四百年これを用いた。秦の俑が珍奇なものというより、すでに古く、そののちさらに長く続く衣の最初の鮮明な写真として読める理由はそこにある。