概要
統一後も流行の中心はパリだったが、絹や仕立ての伝統を土台に、国内の服飾産業が育ちはじめた。
主な装い
一九三〇年代、ファシズム政権はアウタルキー(自給自足)政策のもとで国民衣装協会(Ente Nazionale della Moda)を設け、パリに頼らないイタリア独自の流行を掲げた。レーヨンや牛乳由来のラニタルといった国産繊維も奨励された。
移り変わり
第二次大戦後、この基盤の上に、イタリアは世界的なファッション大国へと飛躍していく。
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イタリア王国の時代、上流の装いはなおパリに倣ったが、独自のイタリア・ファッションを育てる動きも始まった。ファシズム期には、パリから自立した国民的ファッションが国策として推し進められた。
統一後も流行の中心はパリだったが、絹や仕立ての伝統を土台に、国内の服飾産業が育ちはじめた。
一九三〇年代、ファシズム政権はアウタルキー(自給自足)政策のもとで国民衣装協会(Ente Nazionale della Moda)を設け、パリに頼らないイタリア独自の流行を掲げた。レーヨンや牛乳由来のラニタルといった国産繊維も奨励された。
第二次大戦後、この基盤の上に、イタリアは世界的なファッション大国へと飛躍していく。