概要

日本の衣服で、規定がそのまま残っている時代はここだけである。八世紀の令が文字に記され、保たれたからである。装いは場によって等級づけられた。国家の儀には礼服、通常の出仕には朝服、務めにあたる者には制服。等級ごとに位に応じて色と生地と装飾が定められ、衣服は、できたばかりの官僚機構の制服として働いた。もっとも多くを担ったのは色である。濃い紫と紅が上位に置かれ、財によって位階を買い上がることはできなかった。

着方と特徴

ひと目でそれとわかるのは女子の姿である。袖の広い腰丈の衣を、腰の位置が脇の下近くまで上がった長い裳の上に着け、両肩に細い領巾を垂らす。男子は盤領の袍に袴、黒漆の冠をかぶった。朝廷は打ち合わせの向きまで定めており、七一九年の詔は衣を右前に、すなわち中国と同じように合わせることを命じた。以後、日本の衣服は今日まで左を上にして合わされている。

歴史

奈良はまた、実物の衣服が残る唯一の古い時代でもある。東大寺の正倉院は、七五六年の聖武天皇崩御ののちに献納された染織品や履、伎楽面を封じ、目録とともに伝えており、それらは令の記述を裏づける。本頁の屏風も同じ宝物で、樹下に立つ女は当時の胸高の裳をつけ、その衣はかつて山鳥の羽毛で覆われていた。羽毛の大半は今では失われている。