概要

新羅は六四九年に唐の官服を採用した。装いの決定であると同時に外交の決定でもある。半島の戦の前の年月に、朝廷は唐と足並みをそろえていた。結果として一つの衣裳に二つの衣裳が入る。官のための唐式の円領袍と帯、その下と傍らに、高句麗以来の朝鮮の上衣と袴。骨品制はさらに、生地と色と飾りで位の差を法に定めた。残る詔は、どの位が何を用いてはならないかの一覧として読める。

着方と特徴

官服は円領の下、右で合わせて帯を締め、位は帯の金具と色に現れる。女の装いは前で結ぶ短い上衣に胸高の裙、長い帔を添える。骨品の規則が扱うのは、まさに遠目に見えるものである。布の織、簪の金属、上衣の色。下位の者には、真骨の貴族が用いる絹と金が禁じられた。

歴史

この衣裳が分かる史料は少なく、扱いにくい。『三国史記』に残る詔、俑、仏画、慶州の王陵の出土品。朝鮮のこの時代に織物の実物は残っていない。続く高麗は重ねの上衣と裙を保ち、唐の袍は独自の形へ流れていく。振り返れば新羅の配置は、朝鮮の装いが中国の官の一層を採り入れ、その下に着るものとは分けて保った瞬間として読める。