概要
これは上衣ではなくシャツである。頭からかぶり、胸の途中までしかボタンがなく、袖はたっぷりとして袖口で絞られ、腰に仕立てはない。色についての通説は、一八四〇年代にガリバルディがモンテビデオで指揮したイタリア軍団が、アルゼンチンの食肉加工場の労働者向けに作られながら出荷できなくなった赤い毛織シャツの一括を手に入れた、というものである。話の細部がどこまで正確であれ、その背後の実際的な理屈は疑いようがない。補給の仕組みを持たない義勇部隊はまとまって手に入るものを取ったのであり、全員が同じ一色を着ることは制服の役目を果たす。
着方と特徴
各自の持っていたズボンの上にゆるく着て、柔らかな帽子をかぶり、しばしば外套を羽織る。それで全部である。飾り布も飾緒も肩章も階級章もない。将校のシャツも同じシャツであった。この欠如こそが要点である。ブルボン軍やオーストリア軍の凝った軍服に対して、義勇兵は自ら名乗るとおりのもの——王の道具ではなく武装した民衆——に見えた。本頁のシャツは実物で、一八六七年のアグロ・ロマーノ戦役で着られた帽子とズボンとともに伝わっている。
歴史
一八六〇年にシチリアへ渡った千人隊もこれを着た。そののち、シャツは運動そのものよりも遠くまで旅をする。ヨーロッパ各地の共鳴者が集会でこれをまとった。一八六四年にガリバルディがイングランドを訪れると膨大な群衆が迎え、その季のうちにイギリスの仕立屋は、前をボタンで留め腰で寄せたゆったりした女性用のブラウスを「ガリバルディ・シャツ」の名で売り出していた。男の服から大衆的な女性の流行へ移った最初期の衣の一つであり、今日のブラウスの祖である。