概要

李太祖(リー・タイ・トー)は1010年、都をタンロン(昇龍、「昇りゆく龍」の意、現在のハノイ)に移した。1054年には国号を「大越」と定めた。王朝は自らの信仰である仏教と中国式の統治制度を融合させた。

主な動き

制度の整備が続いた。文廟(1070年)、最初の科挙(1075年)、国子監(1076年)である。武将リー・トゥオン・キエット(李常傑)は宋に先制攻撃をかけ、1075〜77年の宋の侵攻を撃退した。この戦争と伝統的に結びつけられる詩「南国山河」は、ベトナムでは最初の独立宣言として記憶されている(伝承に基づく位置づけ)。

終わりと移行

宮廷の衰退が進み、1225年、陳氏が婚姻の取り決めを通じて平和的に帝位を得た。