概要
儒教を国家の規範とした後黎朝では、官の服制が整えられ、身分ごとに色や文様が定められた。
主な装い
宮廷や官人は、交領の長袍に冠帯を合わせた。十八世紀、南部を治めた広南阮氏の主グエン・フック・コアットは、前で打ち合わせるボタン留めの五身の衣を奨励し、これがのちのアオザイの母体となった。北部の女性は四身の衣(アオ・トゥ・タン)を着けた。
移り変わり
阮朝が全土を統一すると、この五身の衣が全国的な装いとして広まっていく。
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後黎朝では、儒教の秩序のもとで装いが細かく定められた。交領の長袍が基本となり、南部を治めた阮氏は、北部と区別するために前開きの五身の衣(アオ・グ・タン)を奨励した。
儒教を国家の規範とした後黎朝では、官の服制が整えられ、身分ごとに色や文様が定められた。
宮廷や官人は、交領の長袍に冠帯を合わせた。十八世紀、南部を治めた広南阮氏の主グエン・フック・コアットは、前で打ち合わせるボタン留めの五身の衣を奨励し、これがのちのアオザイの母体となった。北部の女性は四身の衣(アオ・トゥ・タン)を着けた。
阮朝が全土を統一すると、この五身の衣が全国的な装いとして広まっていく。